量子コンピュータが苦手なこととは?古典コンピュータが有利な問題をやさしく解説
量子コンピュータは「特定の種類の問題」を従来のコンピュータよりもはるかに高速に解けると期待されています。例えば、大きな素因数分解や特定の探索問題などがその代表例です。そのため、「量子コンピュータは何でも速い夢の計算機」というイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、実は量子コンピュータにも「苦手なこと」があります。量子コンピュータは万能ではなく、古典コンピュータが得意とする分野も依然として多く存在します。量子コンピュータの能力を正しく理解するためには、得意なことだけでなく、苦手なことを知ることも非常に重要です。
この章では、量子コンピュータが苦手とする問題の種類や、なぜそれが苦手なのか、そして古典コンピュータが引き続き有利な問題について解説し、両者の使い分けの考え方をご紹介します。
量子コンピュータが苦手な問題とは?
量子コンピュータが特に苦手とするのは、以下のような性質を持つ問題です。
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特定の構造を持たない、汎用的な計算やデータ処理
- ウェブサイトの閲覧や文書作成
- 表計算ソフトウェアでの計算
- データベースの一般的な検索や操作
- 動画や音声のエンコード・デコード
- 画像処理の多く
- これらのタスクは、古典コンピュータが極めて効率的に処理できるように設計されており、現在の量子コンピュータのアーキテクチャやアルゴリズムは、このような汎用的なタスクには適していません。
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単純な繰り返し計算やデータ移動
- 大量のデータを単純にコピーしたり、ある場所から別の場所へ移動させたりする処理は、古典コンピュータのバスやメモリシステムが最適化されています。
- 量子コンピュータは、特定の量子効果(重ね合わせやもつれ)を利用して計算を行うため、このような単純な繰り返し処理には不向きです。
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一般的な最適化問題
- 特定の構造を持つ最適化問題(量子アニーリングが得意とするような問題)は別ですが、あらゆる種類の最適化問題を量子コンピュータで高速に解けるわけではありません。
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無作為なデータの高速な全件検索
- グローバーのアルゴリズムは、構造化されていないデータベースの検索を古典アルゴリズムよりも二次的に(探索空間のサイズの平方根に比例して)高速化しますが、これは古典的なハッシュテーブルなどによる検索速度(ほぼ一定時間)には及びません。つまり、データに全く構造がない場合は、量子コンピュータを使っても劇的に速くなるわけではないのです。
なぜ量子コンピュータは苦手なのか?
量子コンピュータが特定の種類の問題を苦手とする理由はいくつかあります。
- 量子ビット数の限界とノイズ: 現在の量子コンピュータは扱える量子ビットの数が限られており、また非常にデリケートでノイズの影響を受けやすいという課題があります。これは、複雑な汎用的な計算を大規模に行う上で大きな制約となります。
- 計算結果の取り出し(測定): 量子コンピュータの計算結果は、量子状態を「測定」することで得られます。測定は量子状態を確定させてしまう操作であり、また結果が確率的に得られる場合があります。古典的なデータ処理のように、中間結果を自由に確認したり、確定的な値として何度も利用したりすることが難しいのです。
- 特定のアルゴリズムが必要: 量子コンピュータで高速化を実現するためには、その問題に特化した「量子アルゴリズム」が必要です。全ての計算問題に対して、古典アルゴリズムより高速な量子アルゴリズムが存在するわけではありません。量子アルゴリズムが知られていない、あるいは存在しない問題は、量子コンピュータを使っても古典コンピュータ以上の性能は出せません。
- 量子状態の準備と測定のコスト: 計算を開始するために初期状態を準備したり、結果を測定して取り出したりするプロセス自体に時間がかかります。古典コンピュータの極めて高速なデータ入出力やCPUの処理速度に比べると、これらのオーバーヘッドが大きい場合があります。
古典コンピュータが依然として有利な問題
上で述べたように、量子コンピュータが苦手とする問題の多くは、古典コンピュータが非常に得意とする分野です。
- 日常的なコンピューティング: 皆さんがスマートフォンやPCで行っていることの大部分(インターネット検索、SNS、ゲーム、動画視聴、メール、オフィスソフトの使用など)は、古典コンピュータの得意分野であり、今後も量子コンピュータがこれらのタスクを置き換える可能性は低いと考えられます。
- 多くの科学技術計算: 量子コンピュータは特定の科学技術計算(分子シミュレーションの一部など)に革新をもたらす可能性がありますが、線形代数計算、フーリエ変換、数値シミュレーションなど、古典コンピュータで高度に最適化されたアルゴリズムやハードウェアが確立している分野は広範に存在します。
- 大規模データ処理(ビッグデータ): データベース処理、データ分析、機械学習(特に深層学習)の現在の主流は古典コンピュータ上で実行されており、これらの分野で量子コンピュータが全面的に古典コンピュータを凌駕するまでには、まだ長い道のりが必要です。
量子コンピュータと古典コンピュータの使い分け
これらのことからわかるのは、量子コンピュータは古典コンピュータを完全に置き換えるものではなく、「補完する関係」にあるということです。
将来的に量子コンピュータが実用化されたとしても、私たちは今使っているような古典コンピュータを手放すわけではないでしょう。多くの計算は引き続き高速で汎用的な古典コンピュータで行い、特定の、量子コンピュータが得意とする難問だけを量子コンピュータに「アクセラレーター」として任せるという形が一般的になると考えられています。
この考え方を「ハイブリッド計算」と呼びます。例えば、複雑な分子のエネルギー計算の一部を量子コンピュータで行い、その結果を用いて古典コンピュータで全体のシミュレーションを完了させる、といった応用が考えられます。
まとめ
量子コンピュータは、特定の分野で革命的な計算能力を発揮する可能性を秘めていますが、万能ではありません。汎用的なデータ処理、多くの繰り返し計算、特定の構造を持たない問題など、古典コンピュータが圧倒的に得意とする分野は広範に存在します。
量子コンピュータの学習を進める上では、その強力な側面だけでなく、苦手な側面も理解することが重要です。これにより、量子コンピュータの能力を現実的に捉え、どのような問題に適用するべきか、そして古典コンピュータとどのように組み合わせて利用するべきかという視点を持つことができます。情報科学を学ぶ皆さんにとって、古典計算の基礎知識やプログラミングスキルが引き続き非常に重要であることは言うまでもありません。量子コンピュータは、これらの強力な基盤の上に成り立つ、新しい強力なツールなのです。