量子エラー緩和とは?量子コンピュータのノイズにどう立ち向かうか
量子コンピュータは、重ね合わせやもつれといった量子力学的な現象を利用して、特定の種類の問題を古典コンピュータよりもはるかに高速に解く可能性を秘めています。しかし、現在の量子コンピュータはまだ黎明期にあり、「ノイズ」という大きな課題を抱えています。このノイズのために、期待通りの計算結果が得られないことがあります。
このような現状の量子コンピュータは、一般にNISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum)デバイスと呼ばれています。「ノイズが多く、中規模な量子コンピュータ」という意味です。NISQデバイスで意味のある計算結果を得るためには、ノイズの影響を軽減する技術が不可欠です。そのためのアプローチの一つが「量子エラー緩和(Quantum Error Mitigation)」です。
なぜ量子コンピュータはノイズに弱いのか
量子コンピュータの計算は、非常に繊細な量子状態を操作することによって行われます。しかし、外部からのわずかな摂動、例えば熱や電磁波、またはハードウェア自体の不完全性によって、量子状態は容易に乱れてしまいます。これを「デコヒーレンス」と呼びます。デコヒーレンスが発生すると、せっかく作った重ね合わせ状態やもつれ状態が失われ、計算が意図しない方向に進んでしまいます。
また、量子ゲート操作自体にも微小な誤差が含まれます。これらのノイズや誤差が積み重なることで、計算の終わりには正しい結果から大きく外れてしまう可能性が高くなります。特に、多くの量子ビットを使って複雑な計算を行うほど、エラーの影響は顕著になります。
量子エラー緩和とは何か
量子エラー緩和は、計算中に発生するノイズの影響を、主に計算後のデータ処理によって軽減し、より信頼性の高い計算結果を得ようとする技術の総称です。
よく似た概念に「量子誤り訂正(Quantum Error Correction)」がありますが、これは計算中に発生したエラーをリアルタイムで検知し、修正する技術です。量子誤り訂正は非常に強力ですが、実現には多くの量子ビットと高度な制御技術が必要であり、NISQデバイスで実現するのは困難です。
一方、量子エラー緩和は、量子誤り訂正ほど厳密にエラーを取り除くわけではありません。その代わり、比較的少ない量子ビットと現在の技術でも実現可能な手法で、ノイズによる計算結果のバイアス(偏り)を減らすことを目指します。エラー緩和は、量子誤り訂正が実用化されるまでの過渡期において、NISQデバイスの性能を引き出す上で非常に重要な役割を果たします。
代表的な量子エラー緩和手法
量子エラー緩和にはいくつかの手法があります。ここでは、その基本的な考え方をいくつかご紹介します。
1. 期待値推定 (Expectation Value Estimation)
量子コンピュータは、計算の最後に量子ビットを測定することで結果を取り出します。量子計算の多くは、特定の物理量(例えばエネルギー)の「期待値」を求める問題に帰着できます。期待値とは、測定を何度も繰り返したときに得られる値の平均のようなものです。
ノイズの影響を受けたとしても、同じ量子回路を十分な回数繰り返し実行し、測定結果を統計的に処理することで、ノイズによる偏りをある程度平均化し、理想的な期待値に近い値を推定することができます。これは基本的なアプローチですが、ノイズが多いほど多くの繰り返し測定が必要になります。
2. ゼロノイズ外挿 (Zero-Noise Extrapolation: ZNE)
この手法では、意図的に量子回路にノイズを付加し、ノイズレベルが異なる複数の計算を実行します。例えば、ゲート操作を複数回繰り返すことで、実効的なノイズレベルを上げることができます。
次に、それぞれのノイズレベルで得られた計算結果(期待値)をプロットします。そして、これらのプロットされたデータから、ノイズがゼロだった場合の期待値を数学的な手法(外挿)によって推定します。ノイズレベルと計算結果の関係が線形であると仮定した場合などに有効です。
3. 確率的エラー緩和 (Probabilistic Error Cancellation: PEC)
この手法はより高度で、量子回路内の個々のゲートにどのようなノイズが乗っているかを事前に推定しておく必要があります(これを「エラーキャラクタリゼーション」といいます)。
ノイズの情報に基づいて、理想的なゲート操作の結果を得るために、元の回路とは異なる複数の「ノイズを補償する」回路を設計します。そして、これらの回路を特定の確率で実行し、得られた結果を重み付けして平均することで、理想的な計算結果を再構築しようとします。これは、ノイズ付きの計算結果からノイズ成分を確率的に「キャンセル」するイメージです。
これらの手法は単独で用いられることもありますが、組み合わせて利用されることもあります。
量子エラー緩和の今後の展望
量子エラー緩和技術は、現在のNISQデバイスで実用的な計算を実行するために不可欠な研究分野です。これらの技術が進歩することで、より大規模で複雑な量子アルゴリズムを、現在のハードウェアでも実行できるようになる可能性があります。
将来的には、量子誤り訂正が実現され、ノイズの問題が抜本的に解決されることが期待されています。しかし、それまでの間、量子エラー緩和は量子コンピュータの性能を引き出し、早期の実用化を加速させるための重要な架け橋となるでしょう。ハードウェア開発と並行して、より効果的で効率的なエラー緩和手法の研究開発が進められています。
まとめ
現在の量子コンピュータはノイズの影響を受けやすく、そのままでは期待通りの性能を発揮できません。量子エラー緩和は、主に計算後のデータ処理によってノイズの影響を軽減し、より信頼性の高い計算結果を得るための重要な技術です。量子誤り訂正とは異なるアプローチであり、NISQデバイスの性能向上に貢献しています。期待値推定、ゼロノイズ外挿、確率的エラー緩和といった様々な手法があり、これらは量子コンピュータの実用化に向けた研究において中心的な役割を果たしています。量子コンピュータの発展を理解する上で、量子エラー緩和の概念はぜひ押さえておきたいポイントです。